第七話/下鴨神社で会いましょう。それは寒さのせいじゃない。

 

僕は彼女に珈琲をかけた。

 

そして、僕らの時間が止まった。

 


自身の身に起こったことを

彼女は理解出来ないでいた。

 

いや、違う。

 

何が起きたのか

事象としては分かっていたはずだ。

 

今日、初めて会った男に

珈琲を掛けられたのだ、唐突に。

 

だけど、どうして?

 

どうして私は珈琲をかけられたの?

 

それがわからない。

 

あれ、私、何かしたかしら?

 

何か彼を怒らせるようなことをしたかしら?

 


森の中で

突然に熊と遭遇した人間のように。

 

彼女はその小さな身体を硬直させ。

 

開いた口もそのままに

大きく目を見開き。

 

その空虚な瞳で

僕を、あるいは僕と彼女の間にある空間を

呆然と眺めていた。

 


__もとより静かな店内から

一切の音が消えた。

 

建物内に漂う重厚感が比重を増し

重力が2倍になった。

 

時間が鴨川の水流のように淀んだ。

 

店内の温度が6℃下がった。

 

体温が36℃を切った。

 

口の中が渇いた。

 

背中が汗で濡れた。

 


僕は待った。

 

彼女の「サイテイ!」を

 

平手打ちを。

 


しかし、結局

 

それらが僕に放たれることはなかった。

 


しばらくして、彼女は気付いたのだ。

 

どうして自分に珈琲をかけられたのか

 

その理由を

 

どれだけ必死になって

考えたところで

理由なんて分かるはずがない、ということを。


その瞳に、生気と僅かな怒りを宿らせた彼女は

琥珀色に染まったワンピースに視線を落とした後で

 

貫くような視線を僕に向けて

一言だけ、ボソリと呟いた。

 


「茶色」

 


僕は震えた。

 

 


第七話/下鴨神社で会いましょう。それは寒さのせいじゃない。

 

-完-