第十話/下鴨神社で会いましょう。空想主義者かく語りき。


琵琶湖疎水の涼やかな水流に沿って

ふたり寄り添って

 

僕らは歩いた。

 

北は銀閣寺から

南は南禅寺へと続く小道『哲学の道

 

沿道に植えられた桜の新緑が眩しい。

 

きみの笑顔が嬉しい。

 

先の出来事をきっかけにして

ふたりの距離は近づいたように感じた。

 

 

道中、『ようじやカフェ』という和洋喫茶で

女性の横顔が描かれた抹茶カプチーノ

あんこたっぷりの最中を食べた。

 

美味い。

 

 道端で日向ぼっこをしている三毛猫がいた。

 

ハルカさんは藍色のワンピースを踊らせて

弾むように猫に駆け寄り

 

ふさふさとした三色の腹部を

手のひらでさらさらと撫でた。

 

人に慣れた様子の猫は

気の抜けた甘えた声で

 

「にゃーん」と鳴いた。

 


彼女も真似して「にゃーん」と言った。

 

 

僕もその場に歩み寄り、頭を撫でた。

 

ハルカさんの頭を。

 

彼女は顔を上げ

お袈裟に僕を睨んだ。

 

僕はないた。


「にゃーん」

 

 

僕らの出会いについて
少し語ろうと思う。

 

 

__とあるコミュニティサイトで僕らは出会った。

 

それは僕が敬愛する

森見登美彦という作家の

コミュニティサイトであった。

 

自己紹介のトピックを何気なく眺めていたら

ひとつの紹介文に目を惹かれた。

 

「森見さんの小説を愛する人

 みんな良い人!

 

 とは私は思いません。

 

 むしろ偏屈で反社公的で

 冴えない人ばかりだと思います。

 

 それでも、

 森見小説を愛読する人に

 悪い人はいないと私は思います。

 

 良い人になりたい

 だけどなれない駄目な人

 

 あら、素敵じゃないですか。

 

 私は嫌いじゃないですよ。

 好きになれるかは別として 笑」

 

すぐさま僕は
彼女にメッセージを送った。

 

そのメッセージを送った相手の右側を

僕は今、歩いている。

 

すごい時代だなあ。

 

僕は胸の内で呟いた。 

 

SNS万歳」

 

 

「どうですか?

 実際に会ってみて

 想像してたのと違ってがっかりしましたか?」


僕は彼女に尋ねた。


「ううん、全然!

 思ってた通りの人だったわ」


「そうですか

 それはよかったです」

 

 思ってた通りの人

悪くはない。

 

悪くはないけれど

最良とは言えないな。

 


「憂はどう?

 がっかりした?」

 

「そうですね、

 想像よりもずっと魅力的だったから悲しいです」

 


分かりやすく意地けてみせた。

 

ふふふ。

 

僕の答えに

彼女は満足そうに笑った。


「ありがとう」

 

 

南禅寺の境内に斜陽が差した。

世界が優しい色に染る。

 

琵琶湖疎水の水門橋の下で

アーチを潜る彼女の背中に、僕は訊く。

 

「彼氏とは上手くいってるの?」

 


まったく、我ながら嫌らしい問いかけだと思う。

 

それでもやはり

口にせずにはいられないのだ。

 


まあ、結局彼女は

 

「ラブラブだよ」

 

清々しく言ってのけたのだけれども。

 

 

哲学の道の中頃に一つの石碑があった。

 

石にはこう記してあった。

 

「人は人 吾はわれ也
 とにかくに 吾行く道を
 吾は行くなり」

 

あとでわかったことだが

それは西田幾多郎という哲学者の言葉らしい。

 

いまも昔も

僕らは悩んでいる。

 

”みんな悩んでいる”

 

その言葉は

僕らを救いはしないけれど

ちょっとだけ心は軽くなる。

 

まあ、きっと気のせいだ。

 

その気のせいこそが救いだ。

 

 

 

第十話/下鴨神社で会いましょう。空想主義者かく語りき。

 

ー完ー

第九話/下鴨神社で会いましょう。笑って笑って笑って。

 

「あなたのこと許すわ」


と彼女は言った。

 

 

「でも許さない」


と彼女は続けた。

 


「ワンピースのことを

 黙っていたことはもういいわ

 

 許してあげる。

 

 私があなたの立場だったとしても

 もしかしたら言い出せなかったかもしれないから。

 

 でもね、

 

 だからといって

 珈琲を掛ける必要はないと思うの。


 たとえ私があなたの立場であっても

 今日、出会ったばかりの相手に

 珈琲をかけたりしないわ。
 

 うん、私は、というか普通は

 絶対にそんなことしない。

 

 だから、あなたがどうして私に珈琲を掛けたのか

 その理由を教えて欲しいの。


 教えてくれないと

 私は一生、死ぬまであなたを許さない」

 

黒くて大きな瞳が

真っ直ぐに僕を見つめる。

 

 

「死ぬまで許さない

 って誰かに言われたことはある?」


「いや、ないな

 生まれて初めて言われたよ」


「どんな気分?」


「一生、安眠できない魔法をかけられたことに
 気付いてしまったような気分」


「最悪ね」


「最悪だよ」


「その魔法を解く方法があるわ」


「ん、なに?

 キスしてくれるの?」

 

「違う、

 理由を話すのよ」

 


目は口ほどに物を言うらしい。


たしかに、彼女の瞳は語っている。

 

「嘘をついても無駄だから」と。

 


よし、こうなったらもう、仕方ない。


僕は正直に、彼女に理由を話した。

例の作戦を、奇策を、失策を。

 

 

 
「__そうしてふたりは

 いつまでも幸せに暮らしましたとさ

 めでたし、めでたし」

 

 

僕の話を聞き終えた後で

いや、聞きながら

 

彼女は笑った。

 

という表現では収まりきれないくらいに笑った。


それはもう快活に笑った。


時折、テーブルにうつ伏せになって笑っていた。

 


「もう、なにそれ!
 
 阿呆じゃないの!?

 なんでそんなこと思いつくのよ!


 すっっごく、面白いっ!!!!」

 

 

彼女は
大きな瞳に涙を浮かべて笑っていた。


僕もつられて笑った。


マスターもあきれて笑っていた。


周りで聞き耳を立てていた他のお客さん達も
手を叩いて笑っていた。

 

その時、進々堂の小さな店内は

明るい笑い声で溢れていた。

 

 

やがて、落ち着きを取り戻した様子の彼女は

悪戯に細めた瞳で

僕を見据えながら言った。

 

「それじゃ

 その作戦を今からやり直さない?

 

 私があなたを殴って

 そのままトイレに駆け込む。

 

 そして、あなたはここを出て

 新しいワンピースを買って戻ってくる」

 

 

そして、


「ハッピーエンド」と彼女は言った。


「ハッピーエンド」と僕も言った。

 


「うん、もちろん、やるのはいいけれど

 一つだけ訂正させてください。


 あなたは僕のことを殴るのではありません。

 ビンタを放つのです。

 

 右手はグーではなくて、パーです。

 

 ……いや、

 やっぱり、いっか。

 別にグーでもいいや。

 うん、悪いのはおれだし。


 よっしゃ、もう何でもいい!


 とにかく来いっ!!」

 

 

「ふふふ、素敵」

 

 

彼女はそれらしく

ファイティングポーズをとる。 

 

僕は歯を食いしばり

そして、静かに目を閉じた。

 

 


「パチン!」

 

 

優しい痛みと

季節外れの紅葉が

ショーウィンドウに反射した。

 

 


第九話/下鴨神社で会いましょう。笑って笑って笑って。

 

ー完ー

第八話/下鴨神社で会いましょう。思えばあれがきっかけだったね。


「どうして教えてくれなかったの!?」

 

彼女は怒鳴った。


怒髪が天を衝く勢いで怒鳴った。

 

その小さな身体のどこから?

 

いったいどこから
それだけの声量が生み出されているのだ?

 

拡声器でも付いてんの?


喉に拡声器でも付けてんの?

 

実はアンドロイドなの?

 

だから血が付いてても気づかなかったの?

 

 

ああ、納得です(^-^)

 


そんな冗談を考えている余裕もない程に

 

僕は震えた。

 

ガタガタと震えた。

 

 

「だ、だって、なんて言ったらいいの!?

 なんて言ったらよかったの!?

 お、おれ、こんなの初めてだし

 なんて言ったらよかったのですかっ!?」

 


「普通に”血がついてるよ”って

 言えばいいでしょ!!」

 


ああ、ホントそれな(^-^)

 


「いや、でもさ

 見方によっては、見ようによっては

 そういうデザインの服に見えないこともないよ!

 うん、いや、ホントに!
 
 お尻にバラの刺繍が入ってるんだなあ。

 

 って思えないこともなかったよ!

 

 いや、冗談抜きで

 これはちょっと真剣な話ね。

 

 現におれも分からなかったもん。

 

 その赤い染みが血である可能性を考えるよりも

 バラの刺繍だと考える方が

 なんとなくリアリティ、あ、現実味って意味ね。

 そう、現実味があったし。

 

 それが血なんだと気付くまでに

 結構、時間が掛かったもん。

 

 まあ、気付くまでにかかった時間よりも

 その事実を受け入れるまでに掛かった時間の方が

 長かったんだけどね、うん。

 

 まあ、そんなことは今更些細なことだよね。

 

 そう、だから、要するに。

 

 お尻にバラの刺繍が入ってるんだなあ。

 

 って思えないこともないよ!」

 


「思えるかああ!!!!!!!!!」

 

彼女は、けたたましく吠えた。

 


「仮にこれがバラの刺繍だとして

 こんな悪意のあるデザインのワンピースを

 好き好んで着る成人女性がこの世にいると思うの!?

 ねえ、思うの!?」


(世界は広いから、一人くらいはいると思う)

 

と思ったけれど

もちろん口にはしない。

 

これ以上、火に油は注げない。

 

火傷じゃすまなくなる、死ぬ。

 


「いいえ、思わないです」

 

「そうでしょ!

 思わないでしょ!

 いないんだよ、そんな阿呆な人間は!」

 


彼女は僕を睨んだ。

 

蛇に睨まれたカエル、よろしく。

僕のハートは縮み上がった。

 

ああ、井戸の中に帰りたい。

 

熊本に帰りたい。

 

 

しかし、帰れない。

 


何なんだ。

 

一体、この状況は何なんだ。

 

僕はただ、憧れの女性と

京都を楽しく散策したかっただけなのに。

 

何だよ、これは

 

ひどいじゃないか

ひどいじゃないか、神様。

 

 

どうして、今日、出会ったばかりの女の子に

こんなに怒られなくちゃいけないんだよ。

 

社会人になって初めてだよ。

 

こんな風に

面と向かって怒鳴られたのは。

 

別に僕は何もしていないのに。


ああ、でもそうか

この世界では「何もしない」は怒られるのだ。


学校の宿題も然り

放課後の掃除も然り

バスケのディフェンスも然り。

 

「何もしない」は怒られるのだ。

 

ああ、学生時代が懐かしい。

 

厳しく叱ってくれた先生の方が

思い出の中では優しく微笑んでくれている。

 

それは何故だろう。

 

ああ、学生時代に戻りたい。

 

 

しかし、戻れない。

 


代わりに話を戻そう。

 

 

僕は憤怒する彼女を尻目に

このようなことを考えた。


たとえいまは、辛いと感じることでも

時間が経って振り返ってみれば

辛かった思い出として、笑い話にできる。

 

辛さや悲しみとは瞬間的な感情なのだ

未来の僕へは届かない。

 

いつかまた二人が再会を果たした時に

 

「思えばあれがきっかけだったね」

 

なんて言って

 

お互いに思い出を共有して

笑い合うことができるのだ。

 

だとしたら


いいじゃないか。

 

気が済むまで叱られよう。

 


新しいブレンド

僕らのテーブルに運ばれる。

 

琥珀色の液体の上で

白い気体がワルツを踊る。

 

僕はその温かさを

今度はすぐに口にする。

 

そして彼女を見る。

 


向かい合うことから逃げることなく

誠実さを持って

僕に語りかけてくれるその女性を見る。

 

笑って許すのは楽だろう

 

だけど彼女はそれをしない。

 

僕はその理由を知っている。

 


”叱ってくれる人は、優しい人”。

 

 


第八話/下鴨神社で会いましょう。思えばあれがきっかけだったね。

 

ー完ー

第七話/下鴨神社で会いましょう。それは寒さのせいじゃない。

 

僕は彼女に珈琲をかけた。

 

そして、僕らの時間が止まった。

 


自身の身に起こったことを

彼女は理解出来ないでいた。

 

いや、違う。

 

何が起きたのか

事象としては分かっていたはずだ。

 

今日、初めて会った男に

珈琲を掛けられたのだ、唐突に。

 

だけど、どうして?

 

どうして私は珈琲をかけられたの?

 

それがわからない。

 

あれ、私、何かしたかしら?

 

何か彼を怒らせるようなことをしたかしら?

 


森の中で

突然に熊と遭遇した人間のように。

 

彼女はその小さな身体を硬直させ。

 

開いた口もそのままに

大きく目を見開き。

 

その空虚な瞳で

僕を、あるいは僕と彼女の間にある空間を

呆然と眺めていた。

 


__もとより静かな店内から

一切の音が消えた。

 

建物内に漂う重厚感が比重を増し

重力が2倍になった。

 

時間が鴨川の水流のように淀んだ。

 

店内の温度が6℃下がった。

 

体温が36℃を切った。

 

口の中が渇いた。

 

背中が汗で濡れた。

 


僕は待った。

 

彼女の「サイテイ!」を

 

平手打ちを。

 


しかし、結局

 

それらが僕に放たれることはなかった。

 


しばらくして、彼女は気付いたのだ。

 

どうして自分に珈琲をかけられたのか

 

その理由を

 

どれだけ必死になって

考えたところで

理由なんて分かるはずがない、ということを。


その瞳に、生気と僅かな怒りを宿らせた彼女は

琥珀色に染まったワンピースに視線を落とした後で

 

貫くような視線を僕に向けて

一言だけ、ボソリと呟いた。

 


「茶色」

 


僕は震えた。

 

 


第七話/下鴨神社で会いましょう。それは寒さのせいじゃない。

 

-完-

第六話/下鴨神社で会いましょう。タイムフリーズ発動。


完璧だ!

 

恐いくらいに完璧な作戦だ!

 


(この作戦を完璧だと信じていた自分が

 本当に恐い(^-^))

 


この計画が上手くいったら

彼女は間違いなく僕に惚れる!

惚れてしまう!

 

いやはや、まいったぜ!

 

心はすでに有頂天!!

 


僕は今回の作戦を

 

『今夜あなたにLOVEずっきゅん♪計画』

 

と名付けた。

 


そして

 

『今夜あなたにLOVEずっきゅん♪計画』は

 

実現されることなく机上の空論と化した。

 


__事の経緯を話そう。

 

僕はブレンドを一口啜った。

 

(美味い、……これなら、いける!)

 

ブレンドはすでに冷えていた。

 


あとはタイミングを見計らって

彼女にこいつをぶっかけるだけだぜ!

 

きゃほーい!!

 

僕は興奮していた。

興奮して変なテンションになっていた。


女の子に珈琲をぶっかけるのは初めてだった。

そして恐らく、これで最後になると思う。

 

 

「興奮しない、と言ったら嘘になるっ!!」

 


今日が僕らの珈琲記念日

 

こうしてまた一つ

カレンダーに記念日が増えていくね。

 

どう思う?


こういうの。

 

なんだかとっても素敵じゃない?

 

 

(うん、素敵じゃない(^-^)否!!)

 

 

__これは後日談ですが。

 

あの時の僕は、精神が異常でした。

 

恐らく、長時間に渡って

極度の緊張状態を強いられていたせいでしょう。

 

キャパシティの少ない僕の頭は

オーバーヒートしてしまったのです。

 

だって可笑しいでしょ。

 

「ワンピースに血がついてますよ」

 

そんな簡単な一言も言えないくせに。

 

どうして、女の子に珈琲をぶっかける勇気があるんだ?

 

頭がイかれてるぜ(^-^)

 


確かに、あの時の僕は真面ではなかった。

 


それはまるで

花壇に水をやるように

 

自然に。


夏の盛りの打ち水のように

 

当然に。

 


僕は彼女に珈琲をかけた。

 


そして、僕らの時間は止まった。

 

 

 

第六話/下鴨神社で会いましょう。タイムフリーズ発動。

 

ー完ー

第五話/下鴨神社で会いましょう。待っててね、セリヌンティウス。


さて、話を前回の冒頭に戻そう。

 

僕がブレンドを睨んでいたのは

現状への不満が理由ではない。

 

(はやく冷めろ)

 

そう念じていたのである。


いや、違う。

 

別に僕は猫舌ではないし

熱い珈琲は好物だ。

 

「だったら何故

 珈琲が冷めるのを待ってたの?」

 


ふふふ、実はそれこそが

先に上げた奇策、その鍵なのさ。

 

 

<窮地に立った僕が閃いた奇策>

 

 

茶店で談笑に耽る二人。

 

隙を見て

僕は彼女に冷えた珈琲をかける。

 

彼女のワンピース

白&赤➡茶色

 

僕、慌てる(演技)

 

彼女は僕の頬に平手を放つ。

 

「サイテイ!」

 

僕の左頬

白➡赤

 

彼女は泣きながら化粧室へ消える。

 

そして僕は店外へ走る。

 

そのままGo Away!!

 


では、なく。

 

僕は近所の婦人服店に駆け込む。

 

彼女に似合う新しいワンピースを選ぶ(白はNG)

 

再び進々堂へ向けて走る。

 

胸に内に住むセリヌンティウスは叫ぶ。

 

「振り返らずに走れよメロス!」


騒然とした店内に

僕は悠然と立ち入る。

 

女性用トイレに

僕は平然と立ち入る。

 

もちろん、

その時、すでに彼女は気付いている。

 

自分のこれまでの醜態に。

 

珈琲をかけられた理由に。

 

(ああ、

 あの人は私を庇うために

 わざと珈琲を私に……

 

 それなのに

 それなのに私は

 なんてヒドいことを)

 

悲しみと後悔に捕われるジュリエット。

 

自らが生み出した

失意の牢獄に彼女は閉じこもる。

 

(誰か助けてくれないかしら)

 

口には出さずとも

君は願っていただろう。

 

わかってる、大丈夫。

 

今行くよ。

 

「コンコン」

 

孤独と言う名の城壁の中に響く、希望の音。

 


__誰が為に鐘は鳴る?

 

 

「もちろん、君のためさ」

 

 

__その後、

 

彼女の白い肌に

紺のワンピースがよく映える。

 

彼女の左腕はいま

僕の右腕に組まれている。

 

ああ、やらかい(^-^)

 


会計を済ませるために

僕らはレジへと向かう。

 

カウンターの前に立つのは

進々堂のマスターである。

 

伝票を差し出す僕に彼は言う。

 


「今日はいいものを

 見させて頂きました。

 

 お礼と言っちゃなんですが

 珈琲は御馳走させてください」

 


僕たちふたりは顔を見合わせ

 

そして笑う。

 


僕らが去った後で

マスターはバイト君に告げる。

 


「ふふ、奴らはとんでもないモノを残していったな」

 

「え?テーブルには何も置いてありませんでしたよ」

 

「いや、奴らはたしかに残したよ。

 

 おれの心に」
 

「え?」


「忘れちまってた青春を」

 

 


「え?」

 

 


-fin.-

 

 

 

第五話/下鴨神社で会いましょう。待っててね、セリヌンティウス

 

-完-

第四話/下鴨神社で会いましょう。冷めたブレンドはお好きですか?

 

京都大学北門前にある

進々堂』という喫茶店

 

僕はブレンドを睨み。

 

彼女はうっとりとした表情を

カフェラテの泡の上に浮かべていた。

 

日本の未来を担う京大生が

こぞって訪れるという噂の進々堂

 

その店内は、実際に歴史が古いのか

はたまた、そう思わせるための演出か。

 

大きな木のテーブルやベンチシート

板張りの床、タイルの壁

ショーケースの彫り物たち

 

そのすべてが、時代の洗礼を受け

 

長く生き残ったものだけが得ることのできる

独特の重厚感をその身に纏わせていた。

 

一言に

 

古くさい。

 

 

そういう言い方もできた。

 

 

店内にとくとくと溢れる郷愁感

 

そのノスタルジアの成せる業であろうか。

 

 

めっちゃ家に帰りたい、

 

そう思うのは。

 

 

いやいや、

もちろんそうじゃない。

 

大丈夫、ちゃんとわかってる。

 

自分の置かれている状況から

すこし逃げたくなっただけ。

 

 

カフェラテの泡のように白い彼女のワンピース

 

そのお尻の部分が血で濡れている。

 

この状況から。

 

 

彼女はまだ

その事実を知らない。

 

だから彼女は笑っている。

笑っていられる。

 

もちろん僕はそれを知っている。

 

だから全く笑えない。

 

京都全然楽しくない(^-^)

 

 

下鴨神社の境内での出会いから

はや2時間。

 

その間に僕らがとった行動を以下に記す。

 

 

__下鴨神社で初見の挨拶を済ませたあと。

 

 

糺の森を南へ下り。

 

河合神社で互いの恋の成就を祈願し。

 

御蔭通を横切り。

 

鴨川デルタに降り立ち

とりあえず写真を撮り。

 

大学生らしき風貌の若者を眺め

その全てを京大生と決めつけ、拝み

とりあえず写真を撮り。

 

賀茂大橋を意味もなく二往復し。

 

今出川通を東へ向かって歩き。

 

京都大学への侵入を試み。

 

大学内部の時計台の前で写真を撮り。

 

学食でカツ丼を食らい。

 

構内のベンチでおしゃべりをして。

 

最後にもう一度

北門前で写真を撮り。

 

__そして、いまに至る。

 

 

その間、彼女は気付かない。

気付く素振りさえ見せない。

 

一体、何なんだ!?

 

この状況は何なんだ!?

 

最初はハラハラドキドキしていたが

いまではもう鈍感な彼女に対して

憤りさえ感じている。

 

大体、オカシイとは思わないのか?

 

これだけ大勢の人が

君のことを見て笑っているんだぞ。

 

ほら、あの人なんて指を差して笑っているぞ!

 

え、なに、もしかして

注目を浴びている理由は

 

私が可憐で美しいから。

 

とでも思ってんの!?

 

違う、違うよ!

そうじゃないよ!

 

たしかに君は

 

可憐で美しくて

愛らしくて可愛くて

そのうえ愛想は良いし

気が利くし

ぱっと見おっぱいも大きいし

足もとっても綺麗だけれども

 

違うよ!

そうじゃないよ!

 

それらに勝るとも劣らないオプションが

お尻についてるからだよ!

 

血がついてるからだよ!!

 

 

僕は男だから

生理がどういったものなのか

わからないけれど。

 

君は感じないの?

 

あれ、今日はなんかいつもより量が多いなあ。

 

とか思わないの?

 

そういうもんなの?

 

 

僕が抱いている憤りは

なにも彼女へ向けたものだけではない。

 

むしろ不甲斐ない

自分に対してのほうが大きい。

 

(どうして早く伝えてあげないんだ、おれ!)

 

 

バケツに溜まった雨水のように

 

時間が経てば経つほどに

言葉はその重みを増す。

 

もう吐き出せない。

 

言葉を喉まで押し上げようにも

気持ちが先に潰れてしまう。

 

 

今度、同じ境遇の女の子を見かけたら

その時はすぐに伝えてあげよう。

 

そうしよう。

 

バケツに水が溜まらぬうちに。

 

 

ああ、良い経験になったなあ(^-^)

 

ということで

 

 

今日はもう帰ります!

 

 

__しかし、帰れない。

 

 

僕は彼女に伝えることを諦めた。

 

 

ふふ、だがね

そう簡単に見損なってもらっては困るよ。

 

僕は決して彼女を救うことを

諦めたわけではないのだからね。

 

窮地に立たされた僕の脳は

アルセーヌ・ルパンのその孫もビックリの

とんでもない奇策を思いついたのである。

 

 

(フッ、これならいける。)

 

にやついた男の顔が

冷めたブレンドに浮かんだ。

 

 

 

第四話/下鴨神社で会いましょう。冷めたブレンドはお好きですか?

 

-完-