第九話/下鴨神社で会いましょう。笑って笑って笑って。

 

「あなたのこと許すわ」


と彼女は言った。

 

 

「でも許さない」


と彼女は続けた。

 


「ワンピースのことを

 黙っていたことはもういいわ

 

 許してあげる。

 

 私があなたの立場だったとしても

 もしかしたら言い出せなかったかもしれないから。

 

 でもね、

 

 だからといって

 珈琲を掛ける必要はないと思うの。


 たとえ私があなたの立場であっても

 今日、出会ったばかりの相手に

 珈琲をかけたりしないわ。
 

 うん、私は、というか普通は

 絶対にそんなことしない。

 

 だから、あなたがどうして私に珈琲を掛けたのか

 その理由を教えて欲しいの。


 教えてくれないと

 私は一生、死ぬまであなたを許さない」

 

黒くて大きな瞳が

真っ直ぐに僕を見つめる。

 

 

「死ぬまで許さない

 って誰かに言われたことはある?」


「いや、ないな

 生まれて初めて言われたよ」


「どんな気分?」


「一生、安眠できない魔法をかけられたことに
 気付いてしまったような気分」


「最悪ね」


「最悪だよ」


「その魔法を解く方法があるわ」


「ん、なに?

 キスしてくれるの?」

 

「違う、

 理由を話すのよ」

 


目は口ほどに物を言うらしい。


たしかに、彼女の瞳は語っている。

 

「嘘をついても無駄だから」と。

 


よし、こうなったらもう、仕方ない。


僕は正直に、彼女に理由を話した。

例の作戦を、奇策を、失策を。

 

 

 
「__そうしてふたりは

 いつまでも幸せに暮らしましたとさ

 めでたし、めでたし」

 

 

僕の話を聞き終えた後で

いや、聞きながら

 

彼女は笑った。

 

という表現では収まりきれないくらいに笑った。


それはもう快活に笑った。


時折、テーブルにうつ伏せになって笑っていた。

 


「もう、なにそれ!
 
 阿呆じゃないの!?

 なんでそんなこと思いつくのよ!


 すっっごく、面白いっ!!!!」

 

 

彼女は
大きな瞳に涙を浮かべて笑っていた。


僕もつられて笑った。


マスターもあきれて笑っていた。


周りで聞き耳を立てていた他のお客さん達も
手を叩いて笑っていた。

 

その時、進々堂の小さな店内は

明るい笑い声で溢れていた。

 

 

やがて、落ち着きを取り戻した様子の彼女は

悪戯に細めた瞳で

僕を見据えながら言った。

 

「それじゃ

 その作戦を今からやり直さない?

 

 私があなたを殴って

 そのままトイレに駆け込む。

 

 そして、あなたはここを出て

 新しいワンピースを買って戻ってくる」

 

 

そして、


「ハッピーエンド」と彼女は言った。


「ハッピーエンド」と僕も言った。

 


「うん、もちろん、やるのはいいけれど

 一つだけ訂正させてください。


 あなたは僕のことを殴るのではありません。

 ビンタを放つのです。

 

 右手はグーではなくて、パーです。

 

 ……いや、

 やっぱり、いっか。

 別にグーでもいいや。

 うん、悪いのはおれだし。


 よっしゃ、もう何でもいい!


 とにかく来いっ!!」

 

 

「ふふふ、素敵」

 

 

彼女はそれらしく

ファイティングポーズをとる。 

 

僕は歯を食いしばり

そして、静かに目を閉じた。

 

 


「パチン!」

 

 

優しい痛みと

季節外れの紅葉が

ショーウィンドウに反射した。

 

 


第九話/下鴨神社で会いましょう。笑って笑って笑って。

 

ー完ー